参加者の声– Recommendation –

西洋哲学塾参加者の声を属性カテゴリー別に掲載しています。順次追記してまいりますので、ご自身の属性にあわせご参照下さい。(個人の感想ですので、効果を保証するものではありません)

目次

経営者・事業主の方の声

■ 福森鈴子さん(JAPAN BROWTIST SCHOOL 代表)

私は、24才から起業し、長年、会社経営・組織づくりをやっております。

経営者として、当然のごとく、夢、ビジョンを追い、人材を育成し、利益も出しつつ、同時に、社会から求められる会社としての人格、大義も果たせるよう努力をしながら日々邁進してきました。

その中で、ずっと考えてきたことは「社会へどう貢献できるか?」ということ。

人生全力で突き進む中で「社会」の前に「経済界」という構造が見えてきました。この構造を見れば見るほど、何故か絶望・矛盾を感じるようになりました。

「人間とは何か?」
「自分・会社の存在意義は何か?」
「会社を拡大させることが良いのか?」etc…..

この世界で矛盾をどう乗り越えていくのか?

自分自身と会社の「在り方」を日々考える毎日があり、最終的に辿り着くのは、いつも「哲学」でした。ただ、本格的に哲学を学ぶというより、哲学に触れることで、少し心が落ち着く程度です。特に、当時は東洋思想の方に魅力を感じていました。

この「西洋哲学塾」に出会ったのは、知人の紹介です。

ただ、私は学ぶのであれば東洋思想が好きでしたが、その頃、会社がこれまでにない成長段階に差し掛かっていましたので、西洋哲学にも興味を持ちました。

会社を伸ばすのも結局は、資本主義の中であり、そのフィールドは経済界です。その構造を創っているのは西洋思想であるということならば、まずは西洋を知ることが先決と思いました。

しかし、同時に、何かを学ぶにしても「誰から学ぶか」もとても大切にしていたので、説明会、そして山田塾長に直接お逢いしお話しました。私の考え方も知っていただき、そして塾長の考え方も知り、その考え方にとても共感し、学ばせて頂くことになりました。

西洋哲学塾で学ぶようになり、まずは、カルチャーショックばかりですが、ようやくこの世界で起きている矛盾を理解し、思考の整理ができてきました。

世界を支配している構造を知らなくして、経済活動、世間は理解できないです。これまで、いかに世の中を低い視座で見ていたのか!?学ぶにつれて以前よりも高い視座で物事が見えるようになり、何が必要なのかが明確に見えてくるようになりました。

これからは、人生で一番大切な時間を、迷ったり悩んだりすることなく、人生短縮して成果につなげて生きていけます!

■ 匿名希望さん(税理士)

税理士で主なクライアントは中小企業、職種は様々です。

経営者の方から信頼をいただけるようになると、税務に留まらず、売上から人事、後継者の問題など幅広く深い相談を受けることがあります。

これまでは、必要に応じて本やセミナーで知識を付けて対応をしてきましたが、相談された問題が解決するような手応えを得ることは少なく、税務以外の専門外の相談は難しいと思っていました。

考えてみれば当たり前のことですが、経営者はその仕事のプロとして何年も活躍されているのですから、付け焼き刃の知識で太刀打ちできるはずがありません。

たとえ、本に書いてあることの方が正しく、実践されれば上手くいくと思うことであっても、「そんなことは知っている」「以前に試したことがあるけどダメだった」と言われてしまうこともありました。

しかし、西洋哲学塾で哲学の思考法を学んでから経営者にアドバイスをすると、

  • 「気付きを得ることができた」
  • 「たしかにそう思うから実行する」

と、今までと全く違う反応を得ることができるようになりました。

結果、より深く信頼していただけているように感じますし、なにより、私自身が以前にも増して仕事に意義を感じるようになり、日々の税務相談にもより充実感を持って取り組めています。

必要なことは、100の知識よりも1つの思考法です。これからも哲学の思考法を磨いていきたいと思っています。

対人支援職の方の声

■ 渕山紗衣さん(コーチ・元ソーシャルワーカー)

「今まで、人と世界のことを何も知らずに人生のお手伝いをしてきたんだ・・・」

恥ずかしながらこれが、対人支援(コーチ・ソーシャルワーカー)を生業にして20年近く経過した私が、初めて西洋哲学塾に触れたときに感じた自分自身に対する危機感でした。

今までやってきたことといえば、社会の局面で追い詰められた方と向き合い、様々な課題や利害関係が千錯万綜している中からなんとか出口を見出し、サポートする。そのためにひたすら走り回ることでした。

しかし、現場経験を重ねれば重ねるほど、学べば学ぶほど、周囲からいただくありがたい評価とは反対に、鮮明になっていったことがあります。

それが、私は対人支援職としての「確かな力」を掴めていないということ。 

その折に出会ったのが、西洋哲学塾でした。

西洋哲学塾での学びと実践を重ねるごとに、私に必要な「確かな力」は「メタ認知力」だ、という確信が増しました。また、メタ認知力を高めていく過程で、世の中の見え方も変わってきました。

そもそも、クライアントは複雑な現代社会の網目の中で様々な苦難を抱えながら生き抜いていらっしゃいます。

とすると、私がすることは「目の前のクライアントが世界をどのようなかたちで見て、理解しているのか」という構造を知り、そこに対しアプローチをしていく関わりなんだ、ということが汲み取れるようになってきました。

クライアントの「世界の見方、理解の仕方」というと、特に対人支援者にとっては「それはそうだよね」と思えなくもないことだと思います。ですが、メタ認知力を高めていくなかで鮮明になっていく「人と世界の見方」は、今までの経験から想像できる範疇を遥かに超えた「人と世界の見方」。 

「人と世界の見方」の臨場感が増すと、クライアントに対する関わり方が変わります。すると、クライアントは、どのような苦難の渦中にいようとも問題だと思っていることを解消し、あるいは苦難を抱えながらも自らの人生を一歩、また一歩と力強く前に進めていかれます。

すると、ありがたいことに、私自身クライアントから選んでいただいたり、お仕事のご依頼をいただくことも増えました。 

とはいえ、哲学の学びと実践は決して楽なものではありません。
でも、それ以上に、一筋縄ではいかない学びと実践こそ必要だと身に染みています。

というのも私は、人にいい影響もそうでない影響も与え得る存在。

だからこそ、遅まきながら「人と世界を見る確かな力」を身につけ磨き続ける必要がある、と考えています。

■ 谷脇まゆみ さん(コーチ・研修講師)

フリーランスとしてコーチング及び研修講師の仕事に従事しています。

哲学については、日々様々な効果を実感していますが、研修講師の観点から少しその効果を説明してみたいと思います。

企業で請け負う研修では、内容が既に決まっているプログラムがあります。

講師の仕事は固定されたテキストを現場でデリバリーすることであり、このような研修プログラムでは、同様の内容で研修を実施する講師は私の他にも多数います。

その中で、頭ひとつ抜き出るためには何らかの特色が必要であり、

  • 「他の講師とは違うアレンジを入れる。」
  • 「自分の経験談などで注目をひく。」

などの方法しかないと、過去、試行錯誤してきました。

しかし、哲学を学んだ今は大きな変化を実感しています。

具体的には、テキストの内容から寸分ずれることなく、経験談に頼ることもせずに説明しているにもかかわらず、多様な背景を持つ受講者の皆さまの集中力が切れることなく、評価も良い研修をご提供することができています。

その理由は「本質を掴む力」がついたから。

哲学を学んで視点が上がったことで、テキストを俯瞰し、文脈を見通し、テキストが本来伝えたかった本質を掴むことが出来るようになりました。

結果、受講者に対して精緻に語る部分と、大胆に要点だけお伝えする部分とに明確に区分けができ、説明にメリハリがついたことで、しっかりと「本質」の部分をお伝え出来ていると思います。

結果、受講者様の集中度と満足度も大幅に向上しました。予想外の嬉しい変化です。

また、研修講師の仕事には、自分が提案を持ち込んで採用されるものもあります。これについては、提案書の作成に時間がかかるのが大きな悩みでした。

「あ~でもない、こ~でもない」と内容をこね回し、「で、結局言いたいことは、何?」の主旨をまた時間かけて考えて書き直して…、を繰り返していました。これがかなりのストレス。

ところが、ふと、先日気づいたのです。提案書の書き方が以前と比べて全く違うものとなっていることに。内容も以前よりもまとまりがよく、2日かかっていた提案書が、3時間で完成しました。

時間も、過剰な労力も使わずにサクサクと提案書が書けている私に驚きました。

このような変化を通じて、お仕事の方も、新たなお取引先様や分野が開拓されるなど、取組の幅が広がっています。

それ以外にも、哲学塾で学んだことは、私生活や仕事で「実践」できるものです。いや、実践するつもりでなくても、インストールされて動き出してしまいます。

気づかぬうちに効いている。

これが「オペレーションシステムがアップデートされるということか」と、今になって実感しています。

■ 西尾祐里さん(コーチ/ブランドプロデューサー)

1. 西洋哲学塾、入塾前に課題と感じていたこと

自分の扱うサービスや取引先によって、顧客層がそれぞれ違うため、お客様と関わる上での柔軟性をもっと鍛える必要があると考えていました。特に、「経営者」や「エグゼグティブコーチ」のクライアントに関わるうえで、自分の思考力に課題を感じていました。

自分の見通しの甘さ(見える範囲の狭さ)。これまで学んだ知識やスキルレベルで、“対応”というより“対処”しているように感じる。また、思考がパターン化しているようにも思えて、「このままではマズイ」と問題意識はあるものの、そこから抜け出る糸口を見いだせず閉塞感がありました。

今思うと、自分がやっていることに、薄々限界を感じていたのだろうなと思います。

2. 1の課題の解決策として考えていたこと

課題に対して、場数を踏むことで見えてくることがあるだろう、と、いわゆる体験学習を考えつつも、「その考えも、自分のパターンだな」と思ったり。

新しい知識や技術を学ぶというのも、知的好奇心が一時的に満たされるだけで、どうも同じところをグルグル回るような気がして違和感。「なんか、そういうことじゃないんだよな」と思っていたときに、西洋哲学塾の存在を知りました。

3. 他の哲学を学ぶ場ではなく西洋哲学塾を選んだ理由

4. 入塾前、他に悩んだところ

5. 申込前、躊躇したこと

惹かれるものがあり、希望を胸に、説明会を兼ねたセミナーを受講したのですが、そこで待っていたのは、絶望感。説明会直後、思わず口をついて出たのは「死にたくなる」(こんな経験初めてです 笑)

自分が発した言葉に衝撃を受けたのを今でもよく覚えています。それは自己概念が大きく覆されることへの恐怖心、不都合さからくるものでした。

申込期限ギリギリまで、「初心者だし、まずは哲学関連の本を読んでみるところからスタートするか?」「いや、やっぱり大学で基礎から学んでみるほうがいいのではないか?」など、入塾しないほうがいい理由をあれこれ考え抗ってみましたが(笑)、結果、申し込むことに。

決め手は二つ。「哲学をビジネスや人生に実装する」の言葉。

もうひとつは、「コーチとして活動する自分にとって、ここまでのプロセスで起こった自分の状態を見逃せなかったこと」でした。

6. 西洋哲学塾に参加したことによる変化

■ 西洋哲学塾で学び始めて、最初に驚いたこと

講義内ワークの内容を使い、ビジネスの現場で実践したら企画が通ったことです。

それまで、半年以上提案していたものの反応が鈍かったにもかかわらず、サービス形式は変えずに、切り口を180度変えて組み直し提案してみたところ「その考えはなかった」と言っていただき、コーチングプロジェクトの年間契約が決まってビックリ。

「思考の出発点が変わると景色が変わる」と実感した経験のひとつです。

■ コーチングスタイルの幅が広がったことに手応えを感じている

私事ですが、私は夢の「実現」を支援するために、対人支援業の道を選びました。夢見心地、夢が妄想で終わる、ためではありません。

「夢」はあくまでもきっかけであり、そこからいかにリーダーシップを発揮し、「現実を創り出していくか」をポリシーとしています。

これまで、感覚や感情に焦点を当てるコーチングで、人生がダイナミックに変化する方がいた一方で、「ビジネス構築段階の個人起業家」や「企業にお勤めのビジネスパーソン」の中には、気づきを得られても、現実の複雑さに飲み込まれ前に進めなくなってしまう方もいました。

そういったとき、経験談や精神論を振りかざしても仕方ないし、知識や技術、手法、といったレベルでの対応でも限界があります。

また、対人支援者の「視座」は「あり方」に現れ、それはコーチングに影響します。対人支援者(コーチ)はもちろんのこと、クライアントも、結局、同じ次元で考え続けていても、変わらない。

クライアントが現実の複雑さに絡め取られることなく向き合うためには、クライアント自身が「メタ認知力」を磨く必要がある。そして、そのためにはクライアントに関わる対人支援者が、「人と世界を観る力」を磨き続けていなければ話にならない。

ここに、対人支援者が哲学を学ぶ意義があると感じています。

哲学を学んでからコーチングに取り入れたのは、「人と世界を観る力を磨く」ためのアプローチです。

特に、「構造」「文脈」「言葉」を使ったコーチングスタイルを導入し、「フクザツを読む」ステップが加わったことで、クライアントが内面世界に留まることなく、且つ、内面吐露だけで終わってしまうような外への働きかけでもない、周囲に好影響をもたらすべく挑戦を選択し、自ら実行するようになりました。

(その変容が、哲学をコーチングに取り入れてから早くなったな、と)

コーチング用語でいう「サボタージュ」の支配をそのままとせず、哲学用語でいうルサンチマンに逃げ込み安堵するのでもなく、「しんどい、けど、やるか」「めんどくさいをあきらめる」という言葉が出てくる。

クライアントからすれば、あまり高揚感を味わえないコーチングセッションかもしれませんが(苦笑)、クライアントによってはこのスタイルのほうが効果的なようで、総じて“動じなくなった”印象です。

コーチングスタイルの幅が広がったことに、手応えを感じています。

■ 新たなビジネススタート、顧客層の変化

哲学を学び、コーチングに取り入れて実践していったことで、入塾前に課題に感じていた、“エグゼグティブ層と関わるうえでの自分の思考力(視座)”について、いつの間にか悩まなくなっていました。

明らかに自分よりも遙か上の視座から、抽象度の高いことを仰る方を前にしたとき、以前は、もれなく脳内カオスでフリーズ状態、それが情けないやら、悔しいやら・・・と、感情がベッタリ貼り付いて唸っていました。

今も、脳内カオスにはなりますが、以前と大きく違う点は「掴める」ようになってきたことです。

このことに気づいたのは、エグゼグティブ層何人かに「哲学を学ぶようになってから、発する言葉が変わった」とフィードバックをいただいたことがきっかけでした。

(ちなみに、このフィードバックをくださった方々の半分以上は、哲学を学ぶことに懐疑的だった方です)

そこで、抽象度の高い経営者特有の悩みなど、塾長から頂いたアドバイスや講義内容をもとに、「哲学思考×ブランディング プロジェクト」をご提案したところ新しいビジネスがスタート。

企業案件だけでなく、個人クライアントでも、ビジネスが安定している起業家からお申込みをいただくなど、自身のビジネスに変化が現れています。

一見、喜ばしいことである一方で、裏を返せば、今以上に脳に汗かく鍛錬が続くということ。

「否応なしに、覚悟が磨かれていく」 これも、哲学を学ぶことで得るものなのかもしれません。

■ 哲学は気持ちよく学べない、けれど・・・

哲学を学んだことによって得たことは、ビジネスだけでなく人生においても大きいのですが、「じゃあ、哲学を気持ちよく学べたか?」といえば、全くそんなことはなく。

成長の喜びに高揚し続けることが、残念なくらいできません(笑)

その瞬間、固定点に囚われてしまうからです。健全に自己否定していないと、それはあっという間に陥ります。というより、成長したかどうかは、だいぶ時差アリで後から、しかもそれは「外」からやってくるものだな、と。

そういえば、入塾してから居心地の悪い期間がしばらく続きましたが、気づかぬ間に「居心地」という言葉が出てこない、考えなくなっていました。

考え方が変わったことで、気にしなくなったのだと今では思います。

成長の喜びに打ち震えることはできないし、脳に汗かく日々が続く「哲学」 入塾前、「死にたくなる」からスタートした私は、不思議なくらい「生きやすく」なりました(笑)

企業・組織にお勤めの方の声

■ A・T さん(会社員)

サラリーマンとして勤める傍ら、コーチングを学び実践する中で心理学に興味を持ちました。心理学を学ぶ中で更に奥へ・・・その先に辿り着いたのが「哲学」でした。

哲学を学ぶことによって「高い視座」で人と社会を見れるようになる事を期待していました。

「西洋哲学塾」で何が学べるかと聞かれると・・・「己のちっぽけさ」でしょうか。

これまで根拠の曖昧な「思い込み」や、いつの間にか誰かに(社会に)刷り込まれた「信念」や「ポリシー」に囚われ・縛られて如何に不自由に「考えて」「生きて」きたのか。

いかに自分の考えがちっぽけなのか、そこに気づけた事が現時点で感じている「哲学を学んで得られたこと」だと思います。

私の場合、高い視座で社会と自分を見れるようになった結果が「転職」でした。

思えば入塾時、自身の現状への不満があり行動を起こそうとしてはいましたが、そこに「転職」という選択肢はありませんでした。塾生である1年のうちに、入塾前には考えられなかった変化が「所属会社が変わる」という形で現れました。

また、周りから見た私の評価も大きく変わっていると感じます。

前職では「自己主張せずに指示に従う従順な社員」とみられていたと思いますが、現職では「改革を主導するリーダー」と評価されています。「この1年で何があったの!?」と聞かれれば「西洋哲学的思考を学んだ」という事になるのでしょうか。

具体的には「自分の考えや思いを表現するようになった」という事でしょうか。以前は「出しゃばる事はみっともない」「発信して悪目立ちするよりも・・・」「真面目にやっていれば(アピールしなくても)誰かが必ず評価してくれる」といった「思い込み」と「ポリシー」に縛られていたのだと思います。

自ら考え方と環境を変える事で「自分自身」も「周りからの評価」も変わったのだと感じています。そのきっかけが「哲学」でした。

私にとっては偉大な哲学者の言葉も絶対的なものではありません。言葉は所詮「記号」であり「実態は無い」のですから。

しかし彼らの言葉や考え方を取捨選択し、取り入れる事で、自分自身が行動しやすくなり「活き易く」なるのであれば、それを知り活用しない手は無いと考えています。

■ A・S さん(医療福祉系法人職員)

私の所属する法人は組織として末期状態でした。

多臓器不全を起こしていて、抜本的な改革をしないと死んでしまう!!と危機感を抱いていました。なんとか現状を良くしたいと、ここ数年改革を訴え続けてきました。

しかし、結局その訴えも響かず、現実は何も変わりませんでした。「こんな組織と心中はしたくない」と、仕事を辞めることを決め、退職後の準備を始めていました。

そんな時に、西洋哲学塾の存在を知りました。

クレメンティア(西洋哲学塾の入り口??)「美しく成功する人の哲学思考」というフレーズを目にした時に何か直観めいたものが働き、プレビューセミナーを受けてみました。

そこで耳にしたのは「私たちの世界には意味などない」「生まれて死ぬまで言葉という空虚な世界で生きていかなければならない」「私たちの正解は嘘の世界である」など、とてつもなく衝撃的な言葉の数々・・・。

足元がぐらついて目が回るような感覚を味わいました。

そして最も突き刺さったのが「人生のあらゆる問題は、その問題自体を消し去ることで解決する。問題解決ではなく、問題の解消」というものでした。

「もしかしたら、私がずっと問題だと捉えていたもの、それそのものが「なかったもの」なのかもしれない。この塾で学んだら現実が変わり、動き出すかもしれない。」と思い入塾を決意しました。

哲学超初心者の私にとって、講義の内容はいつも理解することが難しく、講義内のワークでもほとんど意見が言えない状態が続きました。ですが、講義中に必死で書き留めたメモ、後日配信される動画を繰り返し確認することで、その姿を掴めるようになってきました。

そして掴めたものを「とにかくやってみる(日常に取り入れてみる)」、そしてそこで掴めたものを「またやってみる」を繰り返しました。

そのような中で次第に手ごたえを感じるようになってきました。

学んだことを仕事の中に取り入れることで、これまでにない変化を感じるようになりました。「ものの見え方」が変わっていくのがわかりました。

見え方が変わると、組織やそこで働く人の姿も違って見えてきます。「ああ、こういう見方をすると、目の前の景色が変わるんだな」と理解するようになりました。

そして見方が変わると自分の口にする言葉や行いが変わり始め、動かなかったはずのものが少し動き出しました。正直驚きましたが、同時に「まだこの組織で私にやれることがある」と確信し、哲学的思考を取り入れた新しい組織改革の目論見を立て、挑むことにしました。

西洋哲学塾で学び始めて半年経過した頃、人事考課の結果と併せて上層部との面談がありました。そこで最高評価をいただき、そして来年度の構想についてお話がありました。

本気で組織改革に乗り出すということ。そのために新しく組織の図を見直し、改革の核となる新しい部署を創設し、その責任者に私を任命したいというお話でした。

改革の内容はずっと私が提言してきたものとそれほど違いのないものでした。

あんなに一生懸命「改革が必要です!」と訴えてきたのに見向きもしてもらえなかったモノが、「組織の言葉」として表に出てきたのです。

西洋哲学塾で学びだしてから、特に私が力を入れて挑戦してきたのは「自分が語らないこと」上層部のメンバーに「自分の口で語ってもらうこと」でした。

相手の論理のカタチを理解し、それが組織の中でどのように機能しているのかを読み取ること。読み取ったものと、彼らが「問題だ」と捉えているものがどう絡み合っているのかを捉えて「それ、本当に問題でしょうか?」と問いかけること。

そして、上層部の方々が自分の口で「そうか、そうなんだ」と理解して、これまでにない視点で語りだす「きっかけ」を仕掛けること。

そんなことをコツコツ繰り返しているうちに、多臓器不全を起こしていた組織の心臓部が力強く動き出し、熱をおびだしました。そしてとうとう「ミッション・ビジョン・バリュー」を完全に書き換え、今年の年頭所感で新しい組織の出発が発表されました。

実のところ、この挑戦をするにあたり私にも覚悟が必要でした。

私の目論見がうまくいくということは、私のポジションが大きく変わることを意味し、それを責任を持って引き受けることを前提としていたからです。

結果、そうなりました。すごいことです。

おそらく新しい試みは県内の医療福祉系の法人では初となります。
リスクを恐れず、挑もうとする姿を心から尊敬します。

そして、その挑戦の核に私を登用することにも相当勇気や覚悟が必要だったことでしょう・・・。

私は、そうなるように仕掛けました。

もう、後戻りはできません。やるしかない・・・のでやります!!

哲学が組織改革に機能するなどということは、これまで一度も考えたことがありませんでした。ですが、実際に機能して現実が変わっています。変わり続けています。

すごいことです。ですが、まだ哲学のほんの一片を見たにすぎません。これからが本番です。

■ 匿名希望さん(会社員)

私は約400名程度のインフラ構築事業部の統括部門長を担当しています。

哲学の学びはスポーツのように短期間での目に見えるような変化はわかりにくい領域だと思います。ただ、振り返ると「あ、結構変わっている」と気づいたのは、企画した取り組みの「採用の円滑さ」と「実行度」の変化でした。

これまでは、企画案の中身について、目的達成に向けて「あーでもない」「こーでもない」と施策を考えてから役員へ上申し、中身についてあれこれコメントをもらって練り直して、再度…、というスタイルになっていました。

それを何度か繰り返して、理解いただき決裁され採用される。

これは私自身のプロセス、というよりも組織の「常識」となっていました。

この点について、私は取り組み方を変えることにしました。具体的には、西洋哲学塾の学びを活かして、状況を俯瞰し、中身を考え、施策を伝えることのみに注力するのではなく、その施策を取り巻く環境を伝えることに軸足をうつした説明に切り替えてみました。

その結果、説明が一発で通ることが増えてきましたし、それに留まらず、議論もそこそこに「早く取り組もう!」と幹部の方が盛り上がるようになることも見受けられ、大きな変化を感じています。

おそらくは、取り組みを織りなす「構造」が変化しているのでないかと考察しています。

また、肝心の施策の推進プロセスについても同様です。現場に対して中身だけではなく、取り巻く環境から伝えることで、自然と主体的に、むしろ起案した自分よりも部下の方が前向きに取り組んでもらえるようになり、実行度合いも強く変化してきている実感があります。

西洋哲学塾で学ぶまでは、哲学は抽象的で役に立たない空論のような印象を持っていましたが、意識と意図を持って現実で扱うのならば、大きな変化と結果を創出できるものだと考えます。

■ 匿名希望さん(会社員)

私にとって息苦しい職場環境に変化が起きました。

1万人近い従業員のいる大企業で、諦め気分で仕事をしていた日々が嘘のようです。

  • 所属するコーポレート部門のある一部の体制が思い描いていた通りになったこと。
  • 新年度の始まりに社長が全社に対して打ち出した方針が、約半年をかけて構想し準備してきた私の所属部門の方針と一致していたことで、部門の内外に新しい業務を展開しやすくなるというラッキーな状況になったこと。

組織については、1年前に再編と人員の再配置等を提案しましたが、受け入れられなかったのです。途中、上長が変わったこともあり再度、提案できる機会が巡ってきました。

私としては今、見えていることをお話ししただけなのですが「非常に戦略的に考えられている」とお褒めの言葉をいただきました。

部門の方針についても、期初のキックオフミーティングが終わるや否や、我々が考えていたことはドンピシャでしたね、いいタイミングでした・・・と上長とほくそ笑む場面が来たのです。

「経営層と同じかそれに近い思考になってきたかしら〜」と、私はちょっと小躍りしたい気持ちでした。

哲学を学んだからと言えるのは「世界の捉え方のツボ」を得たとでも言うのでしょうか、ものごとの見え方が変わってきたことです。その結果、的を射た提案ができるようになったし、それが採用されたし、間の良い進め方にもなってきたのだと思います。

捉え方について例えると、自分や問題とされる対象が置かれているところを一つの「箱」と考え、その箱自体ではなく、もう一回りあるいは二回り大きな「箱」で考えてみること、というのが一つあります。この感覚が普通にになってきました。

自分の外側、自分の周辺との関わり方の腕が上がると、思い描いたことが現実に現れやすくなります。

生きる醍醐味を味わうために、哲学を学ぶという頭のワークアウトを続けていきたいです。鍛えていると時折り、筋肉痛のような状態にもなりますが、それすらクセになっているかも!

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