7月です。太陽まぶしいナツ真っ盛り
毎年いまそこここで よい子の夏休み物語も無邪気に
この時期 出かけ先によっては外の熱気と冷房がきいた室内の
冷気との温度差で体調がゆらぎがちに
それにつられて 思考もあやしくならにないように大人っぽく
意識はクールに保ちたいものです
さて 前回の投稿(vol.1)では 言葉の“シンジツ”について
解きあかしの扉をほんのちょっとだけ開いてみました
どんな内容なのかな‥と気になったなら
遡ってチェックしてみてくださいね
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人間は生まれた地の言語を母国語として覚えながら育っていきます
言語を習得するということはそれと同時にその地で培われ固定化された文化や思考の枠組み 価値観なども沁みこませていくということ
それが個々のパーソナリティの背景となって定着し
さまざまな場面で無自覚的に大きく影響します
ただこのようなことは言語について専門的に学んだり日常の中で言葉を使うことについて突き詰めて考えたりしない限り通常はほぼ明確に認識する機会は少ないかもしれません
とはいえ生きていく毎日は言葉によるコミュニケーションの連続
そこで言葉を使って自分の思いを外に向け何らかの意図した影響を与えていくために「より効果的に伝える」についてふれてみます
現代社会人であれば当然ながら これまで何度となくこのことに
ついて飽くなき試行錯誤を繰り返してもいることでしょう
伝え方によって伝わり方は変わってきます
こちらがちゃんと伝えたつもりでも 相手は違うように受け取っていた またはまったく伝わっていなかったというコミュニケーションギャップはよくあること
云いたいように云い 聴きたいように聴き 見たいように見ているのが人間の常
このようなバイアスがつよく作用する習性は果てしなくこの世的悩みを生み出す原因のひとつでもあります
言葉にまつわる円滑なコミュニケーションについては数多ある既存の著書 または自己啓発や心理学系コンテンツにお任せするとして 話を戻しましょう
改めてここで言葉の使い方におけるポイントをひとつだけあげるとするなら
〜自分の言葉を使う〜
はい コレ今まで何度も聴いているフレーズですね
すでに云い尽くされているいたってシンプルな命題です
そんなの当たり前だと分かって実践してはいても自分の思いどおりに伝わっている実感やそれによる何らかの成果をどれほど感じられているでしょうか
自分の言葉を使おうとしてまず一番にアタマに浮かぶのは自分がもつ語彙の中からそのときどきに最適な言葉を選んで伝えるということですね
ただその前に認識しておきたいのは 語彙の在りようは思考に少なからず影響を及ぼすということ またどういう言葉をどのように使っているかによって属する社会階層があらわにもなります
そういえば その昔“ボキャ貧”という表現が流行語の一つとして話題になりよく聴かれましたね
別の角度から云うと 何かやっかいなことが起こった場合 知っているまたは使える言葉が足らないことによって複雑に絡む事柄が整理しづらくなり 解決に向けての考えがすすみにくくもなるということ
そのような側面はあるものの逆に語彙を増やせば思考力が高まるという単純なお話でもまたなく
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これらのことを踏まえたうえで「自分の言葉を使う」において
大事なのはその先
伝えたい内容の意味は言葉そのものがどうであるかではなく
言葉の連なりで練りあげられたトーク全体の演出によって
初めて立ちあがってきます
しかるべき他者を前にして 最適な言葉を選んだり
または自ら造った言葉をただ繰りだしたりする以上に
影響するのは使う言葉の構成であり全体設計
的を射た強い云い切りワードは絶妙なタイミングで発せられるほどに与えるインパクトが強くなり相手の反応によってはその場のやりとりが終了することもあるでしょう
ただそのようなワードも話全体の中のどこに差し込まれているかによってもことの成り行きは違ってきます
すなわち多くの場合 注力すべきは言葉そのものがどうであるか
よりもむしろその紡ぎ方
かりに借りものの言葉が入っていたとしても その言葉の配置に
よってはさも自分の言葉で語っているかのように相手に感じさせ
ともすれば佳りよく錯覚させ 有益な意味を生じさせることも
できることでしょう
それは逃れられない社会構造をふまえて論理に非論理・非言語のニュアンスをほどよく醸して煙に巻く言編みの投げかけであり
言い回しや語り口による統べりのハーモナイズでもあり
言葉そのものを含めた仕立てあげによって
相手の思考や感情へ多彩な変化を与え 余波をひろげつつ
完結させる風雅といいますか
さらに哲学的要素をそれとなく独白翻訳するようなしつらいにもなれば 相手をいっそう惹きつけ信頼のつながりもより強まることかと
一方で受け取る側の構えとしては そのとき表現されずにそぎ落とされた言葉やエレメントを掬いあげることでやりとりへの俯瞰力がより高まります
そうしてトーク全体をよくよく噛み砕き 解きほぐすことによってまたそのエッセンスを違った用途や場面で応用しやすくもなることでしょう
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つまり「自分の言葉を使う」とは「言葉遣い」
そのときだけ成され活かされるアーティスティックな
無双物語ともいえます
とすると‥ 言葉そのものにはさほど意味はないのかも???‥
という問いが引き出されると言語空間への扉がグッと大きく
開けていきそうです
一度 フィロソフィカルな観点で言葉のからくりに遊んで知恵にしてしまったらもう元のフィールドには戻れなくなることでしょう
だってその深淵なおもしろさは無限大
話すときも書くときも 言葉に清冽な血をかよわせ滔々と
脈打たせたいものです
そんな匠的トークの好循環を叶えていけば
きっと目の前にひろがる景色も ∞ ∞ ∞
静けさが熱っぽい言葉の
インフィニティ・ワールドへどうぞ
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